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『物語における純愛の価値についての一雑文』
「価値というものがわからない」
一言でいえばそれに尽きる
青い空が嫌いで、曇った空が好き。
強い日差しが嫌いで、ひ弱な雨が好き。
うるさい音が嫌いで、静かな図書館が好き。
だから私は図書館にいる。
「わからないな、本当にわからない」
図書館の棚に本を返しながら、私はぼんやりとつぶやく。
昨日からずっと考えているが、まったくココロの触覚に触れない。
何が分からないのか。
「純愛」の価値が私には分からない。
正確には、ただ困難も無く幸せに愛し合うだけの「甘い純愛」の価値がよくわからない。
ダリの抽象画は好きだが、ピカソの抽象画がピンとこないように。
スポーツの瞬間を切り取った写真は好きだが、記念写真に価値を感じないように。
「純愛」の価値がわからないのは私の欠点で
どこかに置き忘れた正しい人間のあり方なのだろう
ロミオとジュリエットが面白いのは、恋愛の間に親という障害があるからだ。
障害があった上で、悲劇として終わるからこそカタルシスがある。
私の眼では、ロミオとジュリエットから障害と悲劇を除いたものが「甘い純愛」のように感じるのだが、
その認識はきっと間違っているのだろう。
甘い純愛は障害や悲劇とは別の部分から読者を惹きつける何かを抽出しているに違いない。
「(駄目だ、私の心には甘い純愛を感じる器官がない)」
あるいは甘い純愛を感じる器官が鍛えられていないか。
純愛ものを読もうと考えて図書館に来ながらも、
空想科学読本や大槻ケンジのエッセイを読んでいるという
この精神構造が私を甘い純愛から遠ざけているのだ。
「(私の心は汚れすぎたということか…)」
純愛物のストーリーを思考実験的に頭の中で回している段階で、
「ククク…貴様の心は既に私が掌握した」とか
「Love!それはあがらえぬ呪い!(←あらがえぬが正しい、狙った媚びポイント)」とか
「純愛時空の中では純愛獣の純愛発生率は通常の3倍になるのだ!」
とかが無意識に出てくる時点で私に純愛を語る資格はないのだろう。
物語というものは作者のココロ、あるいは作者の知識を切り取り貼り合わせたものである。
だとすれば、私の考える物語に純愛が存在しないのは道理であろう。
私の頭には、純愛に関する知識よりも薩摩示現流の知識のほうが多く詰め込まれているはずだ。
「(そして、そんな歪んだ価値観を持ったキャラクターである"私"には
まともな純愛など望めないだろう)」
…少々ブルーになってしまった。気を紛らわすために本でも読もう。
えーっと、"めざせ!ポジティブADHD"でも読むか
と、本に手をかけた瞬間。私の手の上に柔らかい手が覆いかぶさった。
「うおッ!!」
ビックリして手を引っ込めると、「ヒッ!」と小さな声を上げて私の上にあった小さな手もひっこんだ。
視線を移すと、その先には眼鏡をかけた少し神経質そうな女性がいた。
「あっ、すみません…。ちょっとボーっとしていて」
なんだ、このベタな展開は
"パンを咥えて曲がり角でぶつかる"という不動の一位の次に
ベタな展開がやってきたぞ
「あの、迷惑ついでに少し聞きたい事があるのですが、あなたは何故
この本を手に取ろうと思ったのですか?おおっと足がすべったーーー!」
うおお、いきなりあからさまに体当たりしてきやがった。
しかもお嬢さん、胸が接触しておりますよ!
女性の顔を伺うが、眼鏡に光が反射してよく見えない。
しかし口の端はいびつに歪み、してやったりという悪魔の顔を連想させた。
やべえ!純愛を馬鹿にしたから純愛の神が純愛トラップを仕掛けてきやがった、
ここでうかつな反応をしたらケツの毛までむしられるに違いない。
もしくは純愛を隠れ蓑に異世界に連れ去られて無償で望まぬ大冒険をさせられるに違いない!
助けてくれ!殺される!
私は目を閉じ、ただただ祈った。
ああ、この純愛だかラヴコメだか美人局だかよくわからない世界が早く終焉を迎えますように。
<作者の純愛知識がこの程度で尽きたので物語がシャットダウンされました あなたの妄想に続く>
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フォルダを見ていたら昔の創作文がでてきたので掲載。
過去の自分が作ったものって「なんでこのときこんなもの作ってたんだろう?」
って思って面白いですね。